[シネママニエラ]映画『少年は残酷な弓を射る』で、問題児の長男ケヴィン役を演じた、エズラ・ミラーが初来日し、俳優としての今後の展望や独自の思想を明かした。
同作は作家のキャリアを捨てた母親エヴァ(ティルダ・スウィントン)と、そんな母親に対し憎悪を抱く息子ケヴィン(エズラ)との関係を描くもの。
演技派のティルダに対峙できる息子役に抜擢されただけあり、エズラはケヴィンの心情をきちんと分析している。「キャラクターに共感しないといけない苦労はありました。役を信じていないと演じられなかったですね。なぜケヴィンはあんなことをしたのかを理解しなければならなかったんです。ケヴィンは愛情を与えられずに育ち、その復讐心をぶちまけるのが母親なんです。自分の存在が認められないからあんな自分のモラルすら正しいと思って行動しています。何を正しいと思ってやっているか探りつつ自分の悪を母親に露呈します」
ラストシーンはギリシャ悲劇のよう!
母と息子の溝は深まり、破滅的なラストシーンへと向かうことを振り返る。「無理をしてまで自己主張をする思春期。ケヴィンを演じている時にまさに僕も思春期で、ケヴィンを理解していたつもりが、実は分かっていなかったということに直面したラストシーンでした。子供は全知全能だと思っていますが、思春期は特にそうではありません。ラストシーンで彼は自分のやったことで自分で自分を破滅させたと実感します。多くの人を殺したという、自分の行為に直面し、まるでギリシャ悲劇です」
そんなエズラ自身の反抗期を問うと。「13歳の時だと思います。すべてのことが一瞬で嫌いになって、周りから言われることはすべて上から目線だと感じてしまうから、『何言ってるんだ! くそっ!』っていう感じになってしまう、パンクが好きな共産主義者でした。僕は3人姉弟の末っ子で、上の二人の姉たちの反抗期を経験している両親には、姉たちよりハードルを上げないと反抗していると認知されないと思ったので結構強く反抗しました」とストレートに語る。
彼はバンド活動も行っており、音楽と演技に対する持論も教えてくれた。「音楽も演技も自己表現。映画も演劇も同じ自己表現です。世間は俳優をセレブと一緒にしてしまうところがありますよね。そうなると上から目線の人になってしまうと思います。映画は多くの人が関わって作り上げるものだから、僕ら俳優はスタッフの一部に過ぎないと思っているんです。たまたま顔が出ているから代表しているかのように目立ってしまいますが、人間はストーリーテリングに価値を見出すと思うんです。誰にとっても難しい局面はジャッジされること。賛美も批判も受けますが、自分の本質をジャッジされているのではなくて、一部の露出されている部分。若いといろんなことに気づかないものですが、そういうことに影響されてしまいそうな時には、顔を知られて有名だということには何も意味がないんだと言い聞かせていました。だからいまは他人が自分をどう思うかということは気にしないと思います」
これだけしっかり語れるエズラなら将来のプランもしっかりしていそう。「自分の将来のことは秘密です(笑)。作品のタイプを自分がかかわる企画の条件にはしたくないと思っています。僕がインディペンデントな映画に向いているのは、きっと確かだけどインディペンデントだからと言っても質の悪い作品には出たくないし、メジャースタジオだからやらないということでもなく、クオリティで作品を選びたいですね。俳優としては本当の自分からはなるべく遠い、違ったタイプのキャラクターを演じたいです。僕はプライベートな自分と役者の自分をあまり考えていませんし……そこからもっと先の夢はただ在ること。“BE”。自分自身のまま生きるというか、ただそこに在りたいです」
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原題=WE NEED TO TALK ABOUT KEVIN
日本公開=2012年6月30日
配給=クロックワークス
公式サイト http://shonen-yumi.com/
©UK Film Council / BBC / Independent Film Productions 2010
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◆原作
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