さらに「つまり、極悪非道の人間になった側のカメラを自分で回すというところで、現代の戦争体験を自らするわけなんです。そうしてようやく戦争の殺戮を描く資格が自分にできのだと納得してこの映画をつくつ資格を得るわけです。『山河遥かなり』はとてもシンプルです。もう戦争など二度としないようにという想いが込められている。しかし、それから二度も三度も戦争が起こっている。そして今、同じユダヤの血を引くミシェル監督がこの映画に着想を得て描く。戦争を体験して描いたフレッド・ジンネマン、現代のミシェル監督という部分を意識して、是非比較してご覧になったらいいと思います」と持論を展開する。
ミシェル・アザナヴィシウス監督『あの日の声を探して』に込めた思いを語る
映画の持つ力にも言及。「映画とはそもそも記録装置です。記録をするという意味では、ドキュメンタリーというのは大変な力をもっているものです。ただし、リアルな記録は風化されてしまう。なぜなら、辛いことはもうみたくない忘れたいと思うからです。忘れた方がいいこともある。実際に辛い体験をした人はそれでいい。しかし、同じ過ちを繰り返さない為には、自分たちの体験が風化されないよう伝える為には、映画を観るという喜びを感じながらの方が風化せずに伝わる。それが、フィクションのもつ力なんです。1948年の新聞を読みますか? 読まないですよね。しかし、1984年の「山河遥かなり』は今でも観るんですよね。そこに劇映画の力があるわけです」
その例えとして、「日本の作家がうまいことを言っています。「花も実もある絵空事」、「根も葉もある嘘八百」。つまり劇映画は、嘘なんだけど、真実以上の真を伝える力がある。ただそれが単なる絵空事にならないようにする為には、作家がどういう想いでこの作品をつくったかということが重要なのです」
「映画は感じるものだから観た人がそれぞれに感じてもらえればいいのだけれど、上手に感じる為には教養というものが必要。今それがあまりにも失われてしまった。それ故に「貴方の戦争体験は?」という質問に意味があるのです。『あの日の声を探して』はCGを使わず、実際に現地のエキストラたちを使って撮影をしている。それが、ミシェル監督のフィロソフィー。多くの人を撮影で動かすというのがどれほど大変なことか僕は知っている。だからこそこの映画に感動する。「嘘からでたまこと」をつくる為には、本当の汗を流して、一万人の衣装や食事を用意することが、この映画のアプローチ。チェチェン戦争を背景として、永遠の戦争に対する、平和に対する想いを描こうというところに彼の素晴らしさがある。そういう風に理解することが僕たちが観る理由であり、それは人事でも何でも無い」と締めくくった。
フランス・グルジア映画/135分
日本公開=2015年4月24日
配給=ギャガ
公式サイト http://ano-koe.gaga.ne.jp/
©La Petite Reine / La Classe Américaine / Roger Arpajou
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