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映画における暴力を分析
ストーリーのことを言えばグレーな領域にこそ、人間を描き出すヒューマンストーリーは見つかるものだ。どの道を選び、どこへ向かおうとしているのかというね。本作でも、そこを描いたつもりだよ。
僕は5~6年間をかけて、頭の中でストーリーの要素を組み立てる。1つずつ拾い集めながらね。道を転がっていく回転草のようなものだよ。時には1つか2つのアイデアを失い、時には何かを拾い上げ、その一部とする。今作では、映画における暴力を分析し始めた。
想像できると思うが、ボートに乗った男しか出てこない映画では、あまり稼げない(笑)。だから、『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』の編集期間中、仕事が必要だった。『マージン・コール』以降の2年間で、僕のところへ50ほどの脚本が送られてきた。『マージン・コール』はスリラーだったので、皆は思ったんだろうね。この脚本家はスリラーのことを分かっているから、銃を題材として扱わせれば良い作品ができると。だからオファーを受けた作品の9割は非常に暴力的で、そのうちの3割は不快なほどに暴力的だった。僕には小さな子供がいるから、こんなことを思う。「これから3年間、人間の頭を切り落とす斬新な方法を考えることに身をささげて、殺人サムライが街を歩き回る映画を撮るのか」とね。
そんな時、とても恐ろしい暴力事件が僕の身近で起こった。サンディフック小学校の銃乱射事件だ。家から2つ隣の町で起きた事件だった。当時、娘は小学1年生でね。事件直後、車で学校まで送っていったら、学校の入り口の前に武装警備員が立っていた。1日目は、警備員の意義が理解できた。だが2日目には、僕の実用主義の脳みそがこう考え始めた。どこかのサイコな17歳が射撃練習をするという事件はあったが、その後、僕らの生活は元通りになった。それなのに安心して学校に入るには武装警備員のそばを通らなくてはならないと、400人の子供たちに教えているのかと。これはエスカレートする暴力の典型的な例だ。
次に僕は犯罪統計のウェブサイトを訪れ、過去150年間のニューヨーク市の犯罪統計を見た。1970年代は一定のパターンで増加していた。そして1981年、記録上最も暴力的な年が終わると、大きな変革が起こる。翌年までには、いろいろなことが大きく改善され始めたんだ。そういった過去があって、この街が今の形になった。夜中にビキニで歩き回っても、誰も邪魔しない街にね。この変革は、過去をたどると1981年に始まっているんだ。そこでギャング映画を作ろうと思いついた。みんなの大好きなスリルを提供しながら、我々と暴力との関係を語らせているんだ。古典的な手法を使って、見る人にB級の銃撃戦映画と同じスリルを届けながら、最後にはギャング映画という前提をひっくり返すような映画を。>>【後】人生を懸けてこの道に進むチャンス