[シネママニエラ]映画『少年は残酷な弓を射る』で、ティルダ・スウィントン演じる母親とジョン・C・ライリーが演じる父親の長男ケヴィン役を演じた、エズラ・ミラーが初来日し、インタビューに応じた。
同作は英国女性文学賞の最高峰であるオレンジ賞を受賞したライオネル・ シュライバーの同名小説を『モーヴァン』のリン・ラムジー監督が映像化。作家のキャリアを捨てた母親エヴァと、そんな母親に対し憎悪を抱く息子ケヴィンとの関係を描く。
1992年9月30日アメリカ出身のエズラは、その美形の容姿から“アメリカ版松潤”と紹介されることも。「本作のオーディションを受けてから決定するまでは1年半もかかりました。ケヴィンのマスクが外れるラストシーンのスクリーンテストが最後でした。そのテストが終わった時にスタッフ皆が涙を流していて、その2週間後に決まったと連絡があったんです」。
彼が望んだのは誠実な母の愛
スクリーンテストでスタッフを涙させるほど、役柄を理解していたエズラはケヴィンをこう分析する。
「彼はとても頭が良くて、赤ちゃんの時から周囲を認知する能力が人並み外れて高かったんです。そもそもケヴィンのそのハイパーな知性が原因で、両親と自分の力学にも気がついてしまうし、母親が自分に対してしていることが心からのものではなく、虚構なのだと気がついていします。だからこそ、母親にいい母のふりをさせまいとして、手をかけさせないんです。彼が望んだのは誠実な母の愛だから」
何といってもエズラがすごいのは、物事を双方向の視点で捉えていること。例えば、「子育ては母にとっても苦労の連続で、子供をもって育てることは自分に犠牲をはらうことだと今はよく分かります。ケヴィンの場合は、本当は常に無視されて愛されていないのに母親が母性愛をデモンストレーションしていたらどうなんだろう? と考えながら演技しました。愛している振りはしているが、実は捨てられたも同然だと怒るでしょうね。人間は本能的に愛されるものだと思っているわけなので、子育てにおいて親の関心が自分に向けられていないと思う子供はどんな怒りをもつだろうか、と思いますね。親に注目されずに育った子は、何をしてでも注目を浴びたいと思うのではないでしょうか。それはケヴィンも同じなんだと思いました」と解釈していること。
なぜか母親に原因があると言いがち
そんな難役ケヴィンの役作りを聞いた。「ケヴィンの生まれた時から今までの人生を考えました。もちろんケヴィンがああなったのは母親と同じくらい父親にも原因があります。今回の映画のテーマとしても悪い人が出来た時に、なぜか母親に原因があると言いがちで母親にすべての罪を着せるのが都合の良い答えになるのでしょうが、本当にそうでしょうか? 他の人には責任はないんでしょうか? ケヴィンの父親にも原因がありますよね。僕が思うにケヴィンは、アウトサイダーにされるように自ら仕向けていたのではないかと。他人なんて自分のために使ってナンボ、操ってナンボという風に周囲の嫌悪感を自ら育てた。弱者の自分は、こういう行動を起こすんだと自己正当化していったのだと思います」
エズラは衝撃シーンの撮影を振り返りつつ、更に問題点を掘り下げる。「僕はラストシーンを演じてから1時間涙が止まりませんでした。ケヴィンみたいな子はたくさんいるのに支えが得られずに自分の気持ちを爆発させてしまい、今度は毎日拷問のように自分に向き合うことになります。ケヴィンがそうなったのは本人のせいだけではなくて、社会のせい、周囲の皆のせいでもあったと思います。それゆえに彼が弓を選んだ理由があって。弓は正確に的を射なければならないものだから、彼自身の性格に合っていたんだと思います。彼の弓の的は、母の心だったんです。でもこれは僕の解釈であって、その解釈は人ぞれぞれでいいと思います。それが映画だと思うので。
エズラ・ミラー「もっと先の夢はBE=ただ在ること」映画『少年は残酷な弓を射る』来日インタビュー【後編】に続く>>
原題=WE NEED TO TALK ABOUT KEVIN
日本公開=2012年6月30日
配給=クロックワークス
公式サイト http://shonen-yumi.com/
©UK Film Council / BBC / Independent Film Productions 2010
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◆原作はこちら
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